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最高裁判所第三小法廷 昭和28年(オ)608号 判決

上告人 山形県知事

訴訟代理人 岡本元夫 外二名

被上告人 伊藤五助

主文

第一審及び第二審判決を破棄する。

被上告人の請求を棄却する。

訴訟の総費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人浜本一夫、同岡本元夫、同板井俊雄の上告理由について。

自創法による農地の買収処分には、民法一七七条の適用はないと解すべきであるから、どこまでも真実の所有者についてこれを行うべく、単に登記簿の記載のみによるべきでないという趣旨は、当裁判所大法廷の判例とするところである(昭和二五年(オ)第四一六号同二八年二月一八日判決、集七巻二号一五七頁)。従つて買収処分が、単に登記簿上の記載によつたため買収当時における真実の所有者を誤つて行われたような場合は、その処分は違法たるを免れないが、それだけで常に直ちに当然無効と解すべきでないとともに、他面真実の所有者が、自己の所有農地について誤つて買収処分が行われたことを知り若しくは知り得べき状態に在つたと認められるにかかわらず、その取消を求めるため法律上許された異議、訴願又は出訴等一切の不服申立の方法を採らず期間を徒過したような場合は、その後において訴によりその違法を主張することは許されないと解するを相当とし、従つて前記買収処分はその瑕疵にかかわらず無効となるものでないとするのは、また当裁判所の判例とするところである。(昭和二四年(オ)第一七七号同二五年九月一九日第三小法廷判決、集四巻九号四二八頁。昭和二五年(オ)第二八〇号同二九年一月二二日第二小法廷判決、集八巻一号一五三頁。昭和二六年(オ)第一六二号同二九年一月二二日同判決、集同上一七二頁。各参照)。

ところで原判決の確定するところによれば、本件農地は元訴外伊藤つるの所有であつたが、その死亡により同人の養嗣子でありまたその長女伊藤ミツの夫である訴外伊藤広太が家督相続人としてこれを承継取得し登記簿上もその所有名義となつていたのであるが、伊藤ミツには右広太を夫とする前に訴外樋口角治との間に生れた伊藤五助(原告、被上告人)があり、また右ミツ、広太の間には訴外伊藤五市が長男として生れていたので、近親の者協議の上、伊藤家伝来の本件農地は被上告人に所有せしむべきであるとの見地から、大正一〇年一一月九日右広太、被上告人、及び右五市の三者間で本件農地を広太より被上告人に贈与すること、その他の約定が成立し、ここに本件農地は被上告人の所有に帰したのである。ただ被上告人は所有権移転登記手続をしなかつたため登記簿上は依然広太の所有名義となつていたが、被上告人が真実の所用者としてすべての権利義務を行使し、関係者も被上告人の所有地であると認めて現在に及び、訴外伊藤五市が本件農地を相続によつて取得したという事実は認めることはできないのである。しかるに作谷沢村農地委員会は、本件農地につき右の事実関係に基づくことなく単に登記簿上の記載に依り、当時名義人伊藤広太がすでに昭和一九年一〇月一三日死亡していたので、戸籍簿上その家督相続人である訴外伊藤五市を所有者と認め買収計画を立てたため、上告人はこの計画に基づいて買収処分を行い買収令書は昭和二三年二月九日右五市に送達されるに至つたというのである。

原審は以上のような事実によつて本件農地は事実被上告人の所有となつたのであるから、登記簿上の所有名義人に過ぎない伊藤広太の家督相続人伊藤五市を所有者として行つた本件買収処分は所有者でない者を所有者と誤つた違法があるとしてこれを無効と判断したのである。

しかるにさらに原審の認定するところによれば、被上告人は本件農地の買収計画が立てられた当時、作谷沢村農地委員会の会長の地位に在つて、前記のように被上告人が自分の所有であるとする本件農地を誤つて訴外伊藤五市の所有として買収計画を立てることに参画したのであり、またこの計画に基づいて上告人が買収処分を行うに至つたのにかかわらず、買収計画に対してはもちろん、買収処分に対しても、その取消を求めるため異議、訴願又は出訴等一切の不服申立の方法を採らなかつたというのである。してみると前に引用した当裁判所の判例の趣旨に微すれば、被上告人はすでに訴によつて本件農地の買収処分の違法を主張することは許されないと解するを相当とし、従つてまた本件買収処分は前記の瑕疵にかかわらず当然無効とはならないと解するを相当とする、原判決が引用とする第一審判決の理由によれば、被上告人のこの間の事情について種々説示するところがあるが、これを合せて考えても反対の結論に至ることはできない。

さればこの趣旨と異なる見解に立つて、本件農地買収を無効と判断した原判決は法令の解釈に誤りがあることに帰し、論旨は理由があり、破棄を免れない。

よつて民訴四〇八条、九六条、八九条に従い主文のとおり判決する。

この判決は、本件売買についても民法一七七条の適用あるものとする井上裁判官、島裁判官を除く全裁判官一致の意見である。

井上裁判官の意見は昭和二五年(オ)第四一六号同二八年二月一八日大法廷判決において述べたとおりである(判例集第七巻二号一五七頁)。島裁判官の意見は井上裁判官と同じである。

(裁判官 島保 河村又介 小林俊三 本村善太郎)

上告代理人浜本一夫、同岡本元夫、同板井俊雄の上告理由

原判決には、最高裁判所の判例と相反する判断をした違法がある。

御庁第三小法廷は、昭和二十五年九月十九日昭和二四年(オ)第一七七号土地明渡請求事件において、隠居により相続人(上告人)の所有に帰したが、登記簿上は依然隠居者(上告人先代)の所有名義になつていた農地を、登記簿上の記載を信頼して隠居者の所有なりとして買収した事案につき、「民法第一七七条の規定が本件農地買収に適用あると否とにかかわらず登記簿記載の資格を信頼して隠居者に対してなされた本件買収計画の実行、買収処分は当然無効となるものではない、されば右土地に対する買収処分が訴により取り消されたことが認められない本件にあつては右土地の所有権は買収令書に買収期日として記載された昭和二二年一〇月二日国に帰属したものと認めるの外なく、従つて上告人は同日本件土地に対する所有権を喪失したものといわなければならない」旨判決された(最高裁判所判例集第四巻第九号四二八頁)。

右判決は用語は簡潔であるけれども、その趣旨とするところは極めて明瞭であつて、仮りに民法第一七七条の規定は農地買収に適用がないと解すべきものであるとしても、農地所有権の移動があり未だこれにつき所有権移転登記がなされない間に、登記簿の記載を信頼して登記簿上の所有名義人に対してなされた農地買収処分は、取消訴訟において取消原因ある場合に当るとなすは格別、当然無効ではないことを洵に正しくも宣明されたものと理解すべきであると思料する。

翻つてこれを本件について考えてみよう。本件は問題の農地を登記簿上の所有名義人亡伊藤広太の家督相続人五市を所有者なりとしてこれに対し買収処分をした事案である。原審は、本件農地はもと右広太の所有であつて、広太が五市の家督相続前にこれを被上告人に贈与したものであるが、受贈による所有権取得については、未だ移転登記がなされず登記簿上は依然広太所有名義になつていたと認定しているのである。然らば本件において、上告人が広太の家督相続人五市を所有者なりとして本件農地につき買収処分をしたことは、戸籍上知り得る家督相続なる事実が加わつているとはいえ、登記簿上の所有名義を信頼した結果に外ならない。従つて前段引用の御庁第三小法廷の判例に従う限り、本件買収は、取消訴訟の取消原因ある場合に当るとされることは格別、当然無効とされるべきものではないのである。

然るに原判決は本件買収処分について、「被告は作谷沢村農地委員会の買収計画に基いて、本件農地につき、登記簿上の所有者に過ぎない伊藤広太の家督相続人伊藤五市を所有者として本件買収処分をなし、同人に対して買収令書を交付したことは、農地の所有者でない者を所有者と誤つた違法があるものといわなければならない。(中略)しかもその違法は重大であつて、右買収処分を当然無効ならしめるものといわなければならない」と判示した第一審判決理由をそのまま引用して、上告人の控訴を棄却したのであつて、原判決には明かに前記最高裁判所の判例と相反する判断をした違法があるものといわなければならない。

もつとも御庁第三小法廷において前記引用の判決がなされた後、御庁大法廷は、昭和二五年(オ)第四一六号行政行為取消請求事件につき、昭和二十八年二月十八日言渡判決(最高裁判所判例集第七巻第二号一五七頁)において、「民法第一七七条の規定は、自作農創設特別措置法による農地買収処分には、その適用を見ないものと解すべきである。されば政府が同法に従つて、農地の買収を行うには、単に登記簿の記載に依拠して、登記簿上の農地の所有者を相手方として買収処分を行うべきものではなく、真実の農地の所有者から、これを買収すべきものである」旨を明かにされた(上告人は、この判決の意味するところを後記の如く解する趣旨において、その結論については免もあれ、同判決が右結論抽出の理由として、「自作農創設特別措置法に基く農地買収処分は、国家が権力的手段を以て農地の強制買上を行うものであつて、対等の関係にある私人相互の経済取引を本旨とする民法上の売買とは、その本質を異にするものである。」こと、「同法が農地買収についての基準を、いわゆる不在地主の農地であるかどうか即ち農地の所有者が実際に農地の所在市町村に居住しているかどうか、又は、地主が農地を自作しているか、小作人をして、小作せしめているか等所有者とその農地との間に存する現実の事実関係にかからしめている」となす点については大いなる疑問を有するものである。行政手続により所有者の意思によらず所有権を買収することは即ち公権力の行使ならんも、これにより取得するものは私人相互の取引の結果取引界において所有者とされるべき者からその権利を強制買上げするに過ぎないのであつて、この点からは、右の結論は理由ずけられる筈がないのである。何人がいわゆる真実の所有者なるかはこの場合所有権移転の効力が公権力によるからとてしかく容易に決しうるところではないのである。又自作農創設特別措置法が農地買収の基準としているところは、現実の事実関係を問題とする限り、何人が現実に耕作しているかという点であつて、何人が現実に耕作しているかは現実関係といい得んもその者が所有者なるか否かは法律関係であつて、民法第一七七条が適用があるか否かはこの段階で問題となるのであり、所有者が不在地主であるか否かは更にその後の問題であり、現実の耕作者が小作人であるか否かは民法第一七七条が適用があるか否かという点には何の関係もないのである)。しかしこの判決は、農地の買受人のための所有権移転登記未了の間に、登記簿上の所有名義人、即ちいわゆる真実の所有者の前主を所有者なりとして、この農地につき定められた農地買収計画に右の真実所有者が異議を申し立てて却下され、更に訴願を申し立てたに対し訴願庁が民法第一七七条の趣旨を援用して訴願を棄却した裁決に対し、取消を訴求した事案について、民法第一七七条は自作農創設特別措置法による農地買収には適用がないとの理由で、右裁決を取り消した第一審判決に対する控訴事件において、第二審裁判所が右第一審判決の理由を援用して控訴を棄却した事件につき、上告審として、「(前略)民法第一七七条の規定は自作農創設特別措置法による農地買収処分には、その適用をみないものと解すべきである。されば政府が同法に従つて、農地の買収を行うには、単に登記簿の記載に依拠して、登記簿上の農地の所有者を相手方として買収処分を行うべきものではなく、真実の農地の所有者から、これを買収すべきものであると解する。(中略)もとより、本事業は、わが国劃期的の大事業で、短期間に全国一斉に、大量的に農地の買収を行うものであつて、かかる大量的な行政処分において、個々の農地について登記簿その他の公簿を離れて真実の所有者を探求することは事実上困難であり、公簿の記載は一応真実に合するものと推量することは、極めて自然であるから政府が右の買収を行うに当つては一応登記簿その他の公簿の記載に従つて、買収計画を定めることは、行政上の事務処理の立場から是認せられるところであるけれども、右買収計画に対して真実の所有者が自作農創設特別措置法に規定せられた異議を述べるときは、この計画の実施者たる農地委員会は、その異議者が真実の所有者なりや否やの事実を審査して、その真実の所有権の所在に従つて、買収計画を是正すべきものであつて、同委員会は、民法第一七七条の規定に依拠して、異議者がその所有権の取得についての登記を欠くの故を以て、その異議を排斥し去ることは許されないものと解すべきである。」と判示しているのであるから、本件の如き農地の買収処分は、取消訴訟において取消原因ある場合に当ることは右判例から当然是認すべきであろうけれども、取消訴訟の出訴期間を徒過した後、当然無効なりとして無効の確認を求むることはできない趣旨であると解すべきはむしろ右判示の合理的解釈に合致するものであつて、この大法廷判決は毫もさきに引用の第三小法廷の判決と矛盾するものにあらずして、むしろかれはこれを前提とした判示と解すべきものと思料する。このことは両判決の判文を熟読すれば極めて明瞭なところである。従つて前の判例が後の判例によつて変更されたものであると考えることはできない。

しかのみならず農地買収処分が登記簿の記載を信頼して登記簿上の名義人を相手方としてなされた場合は、買収処分は単に違法として取り消しうるにとどまり、当然無効ではないと解すべきである。

およそ行政処分にいかなる瑕疵があつた場合にこれを無効とし、又は無効としないで単に取り消しうるものとするかについては、等しく、法の定める行政処分の要件に軽重の差異を認め、これに応じて無効な行政処分と取り消しうべき行政処分の区別の標準を定むべきものとする。いわゆる目的論的見解をとる学者の間においても、あるいは能力的規律に違反する処分は無効であるが、命令的規律に違反する処分は単に取り消しうるに過ぎないとし、あるいは法を強行的性質の法規と非強行的性質の法規、又は重要な法規と重要でない法規とに分ち、それぞれ前者に違反する処分は無効であるが、後者に違反する処分は取り消しうるに過ぎないとし、あるいは瑕疵が重大であるか又は客観的に明白であるか否かによつて無効の処分と取り消しうべき処分とを区別し、あるいは又処分の内在する瑕疵が重要な法規違反であるや否や、及び瑕疵の存在が外観上明白であるや否やの二つの標準により、重大且つ明白な瑕疵がある場合にのみ処分を無効とし、然らざる場合は単に処分を取り消しうるに過ぎないとするもの等その説くところまちまちであるが、結局瑕疵が無効原因であるかそれとも取消原因たるに過ぎないかは、個々の場合に法規を合理的に解釈して、瑕疵が重大かつ明白であつて法の目的とするところが法に違反する処分の効果を全く否定することを要求しているか否かによつて決すべきものと考える。けだし行政処分はそれによつて国民に対して権利を設定し又は義務を課する等一定の法律的効果の発生を目的として行われるものであるが、一度行政処分が行われれば国家も処分の相手方たる国民もこれに拘束され、又一般の第三者もこれを信頼して行動するのが常であつて、行政処分を基として法律生活の安定、取引の安全、信頼の保護その他の個人的社会的諸利益が相重つて存在するに至るのであるから、行政処分を無効とし、始めから何等の効果も生じないものとするには、右のような諸利益を犠牲にしてもなおかつやむをえないという場合に限定すべきものであり、(行政行為の一部無効、無効行為の転換、無効行為の治癒の理論も、行政処分の無効を認めることによつて法律生活の安定、取引の安全が害されるのを極力抑制しようとするところにそのねらいがあるのである)従つて軽微な瑕疵が存在する場合はもちろんのこと、たとえ重大な瑕疵が存する場合でも、その存在が客観的に明白でない場合に、直ちにこれを無効原因とすることは如上の諸利益を不当に害する結果になつて妥当ではなく、かような場合には処分は一応有効なものとして扱つた上、異議の申立、訴願等法律の定める手続により、又は処分行政庁の職権による取消によつて違法を匡正するのが妥当であると考えられるし、又行政処分を行う上からいえば、軽微な瑕疵があるにすぎない場合や重大な瑕疵があつてもそれが客観的に明白でない場合に行政処分が無効になるとすれば、行政庁が行政処分をなすことが事実上困難となつて、円滑な行政運営は期待されずひいては法の目的の達成に重大な支障を与えることになるからである。

ところで農地の買収処分が真実の農地の所有者に対して行われないで、登記簿の記載を信頼して登記名義人を相手方としてなされた場合は、農地の所有者でない者を所有者と誤つたという点において、あるいは買収処分に重大な瑕疵があつたということにはなるかも知れないが、所有者を誤つたということは買収処分後各種の資料に基く認定の結果、始めてその誤りであることが判明するものであつて、右の瑕疵は買収処分当時においては明瞭ではないのであるから、登記簿上の名義人を相手方としてなされた買収処分は当然無効ではなく、単に取り消しうるに過ぎないといわなければならない。

しかも自作農創設特別措置法に基く事業は、前記大法廷判決中さきに引用した部分にある如く、わが国劃期的の大事業で、短期間に全国一斉に、大量的に農地の買収を行うものであつて、かかる大量的な行政処分において、個々の農地について登記簿その他の公簿をはなれて真実の所有者を探求することは事実上困難であり、公簿の記載は一応真実に合するものと推量することは極めて自然であるから、政府が右の買収を行うに当つては、一応登記簿その他の公簿の記載に従つて買収計画を定め、これに基いて買収処分を行うことは、行政上の事務処理の立場からいつて是認せられねばならないのであつて、この場合若し登記簿の記載を信じて登記名義人に対してなされた買収処分が当然無効であるとすれば、同法に基く事業の達成に重大な支障を来すことはむしろ必然であり、かかる犠牲を払つてまで右の買収処分を当然無効と解しなければならない合理的根拠は毫も存しないと考えるのである。

要するに、登記簿の記載を信頼して登記名義人に対してなされた農地買収処分は当然無効とはいえないのであつて、前記第三小法廷の判決は正当であり、現在においても判例として妥当性を有しているものといわなければならない。然りとすれば原判決が右判例と相反する判断をしたことは前述したとおりであるから、原判決にはその点において違法があり、とうてい破棄を免れないものと信ずる。

以上

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